いきいきわくわくウォーキング 水城コース
今月のいきいきわくわくウォーキングは水城方面に史跡めぐりをしながら行った。
コースは以下のような順に約7㎞、途中の史跡解説や休憩を入れて所要時間は約2時間だった。
水城コース_史跡解説
- ❶王城神社:太宰府市通古賀の氏神様
- ❷一の鳥居
- 日田街道(博多~日田)から、さいふ詣り(太宰府天満宮参詣)の道へ分かれる箇所にある。鳥居の手前にある石台は、潮斎台といい身を潔めるための砂を置いていた。
- ❸刈萱(かるかや)の関(せき):中世の関所の跡と考えられている
- 刈萱のことばの由来:天智天皇(626生-672没)の頃、烽火(のろし)に使う萱(かや)を貯えていたところを刈萱といった。
- 「刈萱道心と石堂丸」ゆかりの地
『刈萱の関守 加藤左衛門繁氏は妻と一人の側女がいた。・・・家をすて繁氏は出家し高野山で修業しているところに父を捜す石堂丸と出会ってしまう・・・』
説話をもとに江戸時代から様々に脚色され浄瑠璃や歌舞伎の作品として国内に流布した。高野山霊宝館サイトには「石童丸物語」が掲載されている。
- ❹水城
- 『日本書紀』によれば、西暦664年に「筑紫に大堤を築きて水を貯えしむ。名づけて水城と曰う」とある。 百済国復興のために朝鮮半島に援軍を派遣した倭(日本)が、唐・新羅の連合軍に敗れた「白村江の戦い」(663年)の翌年に築かれた。全長1.2kmにわたり、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60m、深さ4mの堀をつくり、水を貯えたという。詳しくは九州歴史資料館サイトの該当ページへ
- ❺御笠運河
- 江戸時代(寛文三、1663)に二日市入船町から博多川端町まで運河が掘られ川船で年貢米や生活物資が運ばれた。
- 川船3艘を仕立て、1艘に米30俵を積んで運行を開始したが、水量の不足に加えて改修費、人件費などの費用も大きく半年たらずの翌4年初めには運行を中止したと記録されている。
- ❻田中の森:伝説によれば、神武天皇を警護した田中熊別(くまわけ)という長者の墓があり、「田中の森」(別名「西陵(せいりょう)」)とよばれていた
- 通古賀交差点の近く、鷺田川にかかっている橋が田中橋、その一帯の小字を田中という。田中長者の伝説として知られる。
- 通古賀の田中長者と二日市の虎丸長者の勢力比べの昔話(「王城神社縁起」所収)がTVアニメ「まんが日本昔ばなし」で取り上げられた。
いきいきわくわくウォーキングは「運動サポーターの会」二日市地区の自主企画として毎月第4水曜日に実施している。(以上)